2014年4月12日土曜日

Casa del Lago①/Daniel Espartaco Sanchez

1月の終わりから、少しずつ読んできたカサ・デル・ラゴ世代の作家をぼちぼちまとめ始めようと思う。手始めに、ダニエル・エスパルタコ・サンチェスの短編をふたつ。



1)América

メキシコ中流家庭で育った「ぼく」が幼少期を回想している。家族構成は、「ぼく」、妹、父親、フリア(「ぼく」は決して、彼女を母親と呼ばない)。ある夏の日に、一家は新車のヴォルクス・ワーゲンのセダンでテキサス州はエル・パソへと買い物に出かける。ショッピングモールに到着し、父親は好きなものを買いなさい、と「ぼく」と妹に50ドルを渡す。服なんかが良いんじゃないか、と父親には勧められたものの、「ぼく」はその50ドルを漫画に使い果たしてしまう。ところが妹はその50ドルで自分が欲しいだけのおもちゃを買い、それとは別にフリアに洋服も買ってもらっていたものだから「ぼく」は何ともやりきれない。駄々をこねて父親に新たに53ドルを貰い、「ぼく」は洋服屋へと向かう。そこで、ズボンとシャツとTシャツを買おうと決めるのだが、お金が足りない。「ぼく」は試着室に入って、Tシャツのタグを引きちぎり、お腹に隠して万引きしようと試みる。試着室にはFitting rooms area is under video surveillanceと書いてあったが「ぼく」にはFittingとsurveillanceの意味が分からなかった。試着室を覗きに来た父親が事態を察し、悲しげに「そんなことをする必要はない。尊厳を失ってはいけない」と諭し、「ぼく」が選んだ洋服の支払いを済ませる。「ぼく」のポケットにはには手つかずの53ドルが残った。



 筋だけをざっと追ってみれば、何の変哲もないオートフィクション(?)なのだが、随所で示唆される時代背景と、米墨間の歪な関係がこの小説を読み応えのあるものにしている。
 思春期の回想、中産階級家庭、などの特徴から、この短編を読んで、ホセ・エミリオ・パチェーコのLas batallas en el desierto(『砂漠の戦い』)を連想するのは、まっとうな感覚だと思う。この短編の時代背景は、冒頭に記された「にわか景気」bonanzaという用語や、湾岸戦争以降、ソ連崩壊以前、その他諸々の手がかりから、おおよそ1990~1995年ごろだと推測できる。一方、『砂漠の戦い』はというと、ミゲル・アレマン政権下の工業発展に沸いた時代であるから、1946~1952年。ということで、ふたつの作品の間には40~50年の隔たりがある。クロノロジカルにこのふたつの短編を比較してみるのも面白いのではないか。
 さて、前述したとおり、メキシコ人の男の子が主人公なのだが、どうやら彼の父親はかつて共産主義者としていささか過激に活動していたらしく、警察にお世話になったこともあるようで、ソ連からやってきた父の友人と「ぼく」とのやり取りが面白い。「いつの時代にもおいても、偉大な作家というものはロシア語で書いたのだ」と主張するソ連の友人に、「ぼく」は「英語は未来の言語だ」と反駁するのである。「ぼく」は、米国の雑誌やハリウッド映画を観て英語を独学で勉強している。英語が話せるということには、彼のみならずでなく妹やフリアも何となくステータスを感じているようで、「ぼく」は気になる同級生マリア・デル・カルメンの前で、Me voy de shoppingなんてスパングリッシュを話している。エル・パソへの旅行中にも、「ぼく」は今こそ培ってきた英語の見せ所だ、と鼻息を荒くするのだが、国境検問所でも、ハンバーガー・ショップでも、ことごとくスペイン語で話しかけられてしまい意気消沈するのであった。かような英語への盲信と憧れがありながらも、父親の影響からか、子供ながらに米国を 「パナマやイラクのような国々を侵略し、サルバドール・アジェンデのような政府を転覆させたヤンキーども」と認識している節もある。こういう、メキシコ人の「資本主義大国アメリカなんて大っ嫌い!でも米国カルチャーは愛してる!」みたいなメンタリティは、オクタビオ・パスの評論に書いてあった気がする。一方で、父親は英語を介さないものの、試着室の警告は直感で理解していた。No smokingの警句に戸惑いを感じていたり、試着室の場面でも「私生活は監視できない、と奴らに言ってやれ」とこぼしたりと、ある種、静かな抵抗者として描かれているようにも思う。
 15ページ程度の短い作品ではあるが、様々な構図がみてとれる。fantásticoやら、lo maravillosoの温床であるラ米文学の樹海にあって、こういう家族ものにあたると何となくほっとするな。



2)Jardín

 この短編に至っては、4ページしかない。内容も実にシンプルだ。



「ぼく」が妹と留守番していたら、庭にダチョウがいた。



 試しに、ダチョウとの邂逅シーンを少し翻訳してみよう。
*****

 テレビと本のイラスト以外では、直接見たことなんてなかった、バラの木の横で、庭からぼくの方に頭を曲げたそのダチョウの話を、ぼくはしているんだ。1メートル以上もぼくの上にある、卵のような頭、気持ち悪いきめをした皺の寄った首、それからおばあちゃんがミサに行くために使っていた洋服みたいな黒と灰色の羽毛。ダチョウは親しみやすい種類だと思われているけれど、そいつは攻撃的な動物に見えた。ぼくはパニックというものを感じて、ドアを閉めた。
「どうしたの?」ルシーアが尋ねた。
「庭にダチョウがいるんだ」

*****

 ひょっとしたら動物ものには弱いのかもしれない。コルタサルの『パリにいる若い女性に宛てた手紙』もそうだったが、読んでいてニヤニヤしてしまう。



メモ

1990~1995年にはまだビデオカセット(VHS)がメディアの媒体として活躍していた
この短編において、セダンはメキシコのマキラドーラで製造されていた
言語(カルチャー)の勢力図とナショナリズム、またその分布図は国境とは一致しない
グローバリゼーションの中にあって、米墨国境の越え難さ Cf.『2666』


0 件のコメント:

コメントを投稿