2016年9月26日月曜日

"Jealousy" de William Faulkner, une analyse a la Roland Barthes


 ウィリアム・フォークナー William Faulkner(1897-1962)は、20世紀のアメリカ文学を代表する作家である。長編小説には『響きと怒り』The Sound and the Fury(1929)や『サンクチュアリ』Sanctuary(1931)、『アブサロム、アブサロム!』Absalom, Absalom!(1936)などがある。南部の黒人世界や暴力の発露を、「意識の流れ」と呼ばれる実験的な手法で描き出した。フォークナーの作品ではしばしばヨクナパトーファという架空の土地が舞台に設定されており、それらの小説群はヨクナパトーファ・サーガの総称で呼ばれることもある。また、「エミリーにバラを」"A Rose for Emily"のようなゴシック色の強い作品も多数残している。1949年にはノーベル文学賞を受賞した。
 短篇「嫉妬」"Jealousy" は、1925年に書かれた初期の作品である。後に短篇集『ニューオリンズ・スケッチ』New Orleans Sketches(1955)に収録された。「嫉妬」には主要な登場人物が3人いる。まず、アントーニオと妻。ふたりは飲食店を経営しているが、夫婦仲は上手くいっていないようで、冒頭でも客がみているのも憚らず口喧嘩をしている。もうひとりの登場人物はこの飲食店で働く若いボーイである。アントーニオは妻とボーイの関係を怪しんでいた。ある日、アントーニオはボーイを呼び出して真相を問いつめる。ボーイは妻との関係を否定するが、アントーニオは納得せず、話し合いはもみ合いになって終わる。アントーニオと妻は、新たな町へと引っ越して、そこで心機一転やり直すことを決める。飲食店はボーイが譲り受けることとなった。出発が間近に迫ったある日、ボーイはアントーニオの妻に餞別を贈りたいと申し出る。ボーイとアントーニオは連れ立って骨董品へと出かけていく。ボーイが商品を物色している間に、アントーニオは店内で小型のピストルをみつける。アントーニオは彼に背を向けていたボーイに向けて発砲し、射殺する。

1.行為のコード
 この短篇は主人公の妻が編物をしている場面から始まる。夫アントーニオは苛立った様子で「また編物かね?」Knitting again, eh? と尋ね、妻は顔をあげる。まなざしに関連する行為は以下のように続く。妻がボーイを見る(「女はおつりを出すと、ボーイをちらっと見やった」)、ボーイがアントーニオを見る(「ボーイは彼女の夫の顔をのぞくように見て」)、妻がアントーニオを見る(「彼の妻は頭をあげ、冷たい眼で夫のようすをながめた」)、妻がまわりの客を見まわす(「彼女はすばやくあたりを見まわした」)、まわりの客が怒るアントーニオを見る(「シッ! みんな見ていますよ」)、アントーニオが辺りを見渡す(「その視線はテーブルからテーブルへとさまよい」)、ボーイが辺りを見渡し、妻を見る(「青年の視線が部屋をずっと走って、しばし彼女の夫君の顔の上におちた」)、妻がアントーニオを見る(「女は頭をもちあげ、夫の眼をじっとまともに見すえた」)、アントーニオが星空を見上げる(「ひろがった星空をじっと見つめ」)、商品を眺めているボーイにアントーニオがピストルでねらいをさだめる(「いまは無心で物をながめている男にねらいをさだめ」)。「嫉妬」において、アントーニオはつねに視線を向けられる側の存在であり、彼自身がまなざしを他者に向ける場面はほとんどない。アントーニオの視線が星空を除いてはどこにも向けられていないことはきわめて重要である。
 また、唯一その例外といえるのが、アントーニオが商品を物色しているボーイを後ろから撃ち殺すクライマックスの場面である。アントーニオが「殺してやるぞ!」と恫喝すると、ボーイは「うしろからでもかからないかぎり、あなたにはそんな勇気はなさそうですね」と返す。その直後、アントーニオは「そうだ、おれには勇気がないのだ!」「自分自身にも自分の妻にも面とむかうことのできないのがよくわかっていた」と独白する。以上のような段階を踏んで、まなざしを向ける行為は次第に暗示的な意味合いを帯びるとともに緊張の度合いを増し、結びのアントーニオがピストルで照準をさだめるシーンへと収束するのである。

2.含意のコード(コノテーションのコード)
 先に述べたように、「嫉妬」の冒頭では妻が編物をしている。これは極めて女性的な作業といえるが、アントーニオの妻はなぜ、誰のために編物をしているのだろうか。彼女は以前「ちっちゃな赤い部屋」little red room で編物をしていたという。この部屋の表現は子宮を暗示しているとも考えられる。こうした示唆的な描写からは出産をひかえた女性が、赤ん坊のために編物をしている姿が連想できるが、ふたりには子どもがいない。このことが夫婦の不和に繋がっているとすれば、どちらかの生殖能力に欠陥があるためではないか。さらに「年百日中」編物をしているとアントーニオに揶揄される妻は、『オデュッセイア』のペーネロペイアをも彷彿とさせる。『オデュッセイア』では、夫が不在の間に求婚されたペーネロペイアは返答を先延ばしにするため、編んでは解きを繰り返している。「嫉妬」における求婚者とはボーイである。このように、編物をめぐる描写には夫アントーニオとの不和、そしてボーイとの密通という不穏な事件が暗示されている。

3.文化のコード
 作中で言明はされないが、「ええ、あなた(ルビ:カロ・ミオ)」Caro mioや、「ねえ、トーノ(ルビ:トーノ・ミオ)」Tono mioなどのアントーニオと妻が交わす台詞からは、ふたりがイタリア系の移民であろうことが分かる。そもそも、アントーニオという名前自体がイタリア系の出自であることを表しているし、彼がかつてのシシリー島での暮らしに思いを馳せるシーンも作中で確認できる。物語の舞台がどこであるかは明されていないが、イタリア系移民は19世紀の終りごろから本格的にアメリカ合衆国へと移住してきた。彼らの多くは出稼ぎ労働者として北米へやってきたが、定住を余儀なくされるケースも少なくなかったという。当時のイタリア系移民は他の白人に比べて収入が少なかったとも言われている。こうした文化的背景からは、アントーニオとその妻が社会的ヒエラルキーの下部に位置しており、疎外感を感じているであろうことが推測できる。事実、アントーニオは半ば精神病に侵されている。彼が妻に新しい町へと移ることを提案しても、彼女はそれに反対しない。「嫉妬」では、アントーニオとその妻を通じてアメリカ合衆国におけるイタリア系移民の姿が描き出されている。

4.象徴のコード
 アントーニオとボーイは極めて対照的に描かれている。「背が高くて、若いローマの神さまみたいに美男」で「上背のある」「しなやかで上品なからだつき」のボーイと、「ずんぐりと肥満した」「どっしりとした図体をしている」「中年」で「ふとった醜い男」であるアントーニオ。これが「嫉妬」における第一義的な対立である。こうした肉体的な描写のみならず、ふたりは態度のうえでも比較することが可能である。笑顔を浮かべて「すばやく、手ぎわよく動きまわり、親切に、能率的にたち働いてい」るボーイと「見知らぬ客には卑屈な外面を装った尊大な態度で対応したり」、「そっけないことばで返答したり」するアントーニオ。こうした象徴からは、好感をもって社会的に受け入れられているボーイと疎外されているアントーニオという構図がみいだせる。さらに妻とアントーニオに関しても「まだ若く」美しい妻と、老齢にさしかかりつつあるアントーニオという対象が明示されている。つまりここではボーイ⇔アントーニオと妻⇔アントーニオというふたつの項が反目している。
 こうした対立は容易に発見できるだろう。しかしここで、色という視点に着目するとアントーニオは明らかに赤を象徴している(「憤りのために頬を真っ赤にして」、「とつぜん細い真っ赤な血の筋が、指のあいだから手の甲ににかけて走った」)。一方で、アントーニオの妻は黒を象徴しているものと思われる(「彼女の浅黒い卵型の顔」、「漆黒の髪の毛」、「黒いくろいあの髪の毛」)ものの、先に引用した「ちっちゃな赤い部屋」や「その赤い口もと」といった描写もみられる。ふたりは赤と黒という対立する色を象徴しながらも、夫婦としてくらしている以上ある程度の赤を共有している。ボーイは明らかに白を象徴している(「その眼には白い、皮肉な微笑がひらめいた」「顔にうかんだ、白い、意味のない微笑」)。赤と白は混じりあわない。ところが驚くべきは後半部にあらわれる描写である。ボーイの「白い、不気味な彼の笑いはこれまでと変りがなかったが、その浅黒い顔にチカッと光る歯が、なぜか相手の憤りをさそう力を持っており、自分ではすでに眠ってしまったと思っていた以前の怒りと恐れの念をふたたびかきたてるのだった」。いままで白一辺倒で表象されてきたボーイに、ここで突然黒が入り込む。と同時にアントーニオの心にふたたび嫉妬の炎が燃え上がるのである。つまり、ここでアントーニオは妻の誇るべき黒色をボーイのなかにも発見し、ふたりが共謀している可能性に気づくのである。そして、アントーニオは最後に「赤い炎の一閃」でボーイを撃ち殺し、真っ赤な血で彼を染め上げるのであった。色を媒介とする三者の対立が「嫉妬」では鮮やかに描き出されている。

5.謎のコード(解釈関係のコード)
 簡潔な筆致で書かれ文量も多くない「嫉妬」には、それほど謎のコードが用いられているわけではない。とはいえ、この短篇を読み始めた読者の頭を真っ先によぎるのは、タイトルとして採用されている「嫉妬」”Jealousy”の謎であろう。誰から誰に向けられた「嫉妬」なのか。物語の筋からして、これは当然アントーニオからボーイへと向けられた嫉妬であると推測できる。ところが、物語の終りに至って新たな謎が浮かびあがってくる。
 アントーニオと妻は新しい町へと移り、心機一転そこでやり直すことを決める。ボーイはアントーニオと一緒に、彼の妻への餞別を選びにいく。そこで、アントーニオは突然ボーイを背後から撃ち殺してしまうのである。「あしたになれば、自分はどこかよその土地に去ってゆき、おそらくふたたび、この男を見ることもないだろう」と自分に言い聞かせているにもかかわらず、なぜアントーニオはボーイを撃ったのだろうか。理由はいくつか考えられるだろう。まず、アントーニオが精神衰弱に陥っていたという理由。このことは作中でも明らかにされている。また、ボーイが妻に贈り物をし、それが新居に持ち込まれるのをアントーニオが拒んだのだとも考えられる。しかし、この場合はボーイの申し出を断ればよいだけの話であって、何も撃ち殺す必要はないだろう。結局、アントーニオがボーイを撃ち殺した理由は分からないまま、物語は終わってしまう。この謎の解釈は読者に委ねられているのである。

文献:
バルト、ロラン、1973、『S/Z バルザック「サラジーヌ」の構造分析』、沢崎浩平訳(みすず書房)
フォークナー、ウィリアム、2013、「嫉妬」『フォークナー短編集』、瀧口直太朗訳(新潮社)