2015年11月30日月曜日

死はしらふで、明るい目をしている


 少し前にピーター・グリーナウェイ監督『エイゼンシュテイン・イン・グアナフアト』を観てきた。ラテンビート映画祭のラインナップのひとつだったのだけれど、東京上映を逃してしまい、横浜まで足を延ばした。

 のちにDVD化もされるであろうこの映画を遠路はるばる観に行く理由がひとつあった。それは、小耳に挟んでいたかなり「エグい」映画だという前情報による。ぼくはこの映画を劇場で、しかもモザイク無しで観たかったのである。

 さて、評判に偽り無しといったところで、全編にわたってきわどいシーンがちりばめられている。この作品は『戦艦ポチョムキン』(1925)などで知られる映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインが未完の大作『メキシコ万歳』を撮影するため訪れた、グアナフアトでの10日間を描いたもの。エイゼンシュテインに関しては門外漢なのだが、彼の功績にはモンタージュ理論の確立などがある。ここで、詳しく解説してくださっている方がいるようだ。

 グアナフアトはメキシコ中部に位置する、パステルカラーの街並みが美しいコロニアル建築の都市だ。2・3日あればまわれてしまうような小規模な街なのだが、観光名所は数多く、フアレス劇場、ピピラ像、ミイラ博物館などがある。

 そんなグアナフアトでエイゼンシュテインを出迎えるのが、ディエゴ・リベラとフリーダ・カーロ。時代は1935年。1910年代を革命に費やし、1920年代の壁画運動を経て、メキシコではこの翌年の1936年に金字塔的な映画作品『ランチョ・グランデへ急げ』が制作される。映画産業が黄金期へと突入していく、まさにその前夜のメキシコをエイゼンシュテインは訪問したのである。

 先にも述べたように、冒頭から目を瞑りたくなるような描写が続くのだが、ひとつ印象的だったのが、エイゼンシュテインがひとり晴天のテラスで酒を煽り、ぐでんぐでんになるシーンだ。酩酊状態で地下坑道に迷い込んだ彼が、チャップリンに貰ったという一張羅の白スーツを吐瀉物まみれにするシーンなどはグロテスクというほかない。小綺麗に生きる術を身に付けた我々の目には、それが一種の映像的カタルシスにも映る。真っ青な屋外からの湿った地下への移動は、観客にもその息苦しさを錯覚させる。そのめまぐるしさに我々自身がほろ酔いになったような心持ちさえする。

 しかし、なんといっても見どころはエイゼンシュテインの「貫通」シーンだろう。内気なエイゼンシュテインがガイドのパロミーノによって陥落され、純白のシーツの上で、後ろから攻められるのだが、その画には一種の神々しさすら感じる。無事に(?)洗礼を済ませたエイゼンシュテインの肛門にパロミーノはミニチュアの旗を立て、「革命おめでとう」と囁く。ホモセクシュアルの性交を実に鮮やかに、そしてシンボリックに描いているという点だけでもこのシーンは卓抜していると思うのだが、ホルヘ・ネグレーテを彷彿とさせるようなダンディであるパロミーノと、自分の肉体を恥じているエイゼンシュテインの対比も良い。そういえば島田雅彦の『彼岸先生』でも、先生はメキシコで処女を喪失するのだが、これは単なる偶然ではなく、ひとえにメキシコのステレオタイプともいえるマッチョ信奉(マチスモ、男性優位主義と言い換えても良い)から生じるものだと思う。レイナルド・アレナスの『夜になる前に』を参照しても分かるように、男性対男性の征服―被征服という構図がラテンアメリカには、ある。

 ロシア人であるエイゼンシュテインが、目の当たりにしたメキシコは途方もなく異色のもので、それこそ彼にとっては「革命」であったのかもしれない。ガルシア=マルケスはある小説を読んだときの衝撃を「貞操帯を外された思いがした」と語っているが、時として、我々は未知のものに触れたときの衝撃を性的解放に換言するのである。エイゼンシュテインにとっては、そのふたつが渾然一体となって襲ってきたような感覚だったのだろうかと邪推してしまう。

 二人が墓地を散歩するシーンがある。死者の日の直前ということもあり、墓は色とりどりの華や笑う骸骨で飾られている。ミゲル・イダルゴやパンチョ・ビージャ、エミリアーノ・サパタなど、死者に思いを馳せ、パロミーノは呟く。「ここでは、死はしらふで、明るい目をしている」と。

 美と醜。そして、生と死。そういった、我々が目を覆いたくなるようなものをこの映画は実に雄弁に語っている。