2016年6月30日木曜日

活弁上映のアウラ


フリッツ・ラング『メトロポリス』(1926、ドイツ)の活弁上映@シネマート新宿を観てきた。1920年代、電燈に明かりが灯ったばかりのドイツで上映された映画を、その90年後、「不夜城」新宿で観るというのもなかなか可笑しい。2時間近くにおよんで途切れることなく声(七色の声? それ以上だ)をあて続ける活動写真弁士の佐々木亜希望子さんももちろんすごかったが、音楽を担当していたピアニストの永田雅代さんの演奏もこれまた名人芸だった。本来はサイレント映画なのだということを上映中に一度ならず忘れるほどだった。7月にはアルフレド・ヒッチコック『マンクスマン』の活弁上映もやるらしい。

活動写真弁士の語りを始めて聞いたのは、「キューバの映画ポスター」展@東京国立近代美術館フィルムセンターを観に行ったときのこと。そこの常設展で、活動弁士の声が入ったフィルムを流していたのだった。目当てのキューバ映画ポスターの特別展もなかなかおもしろかったのだが(ジミ・ヘンドリックスのアルバムのごときビビッドな色合いの『白鯨』のポスターには眼を奪われたし、『低開発の記憶』のポスターがカルロス・サウラの兄、アントニオ・サウラの手によるものだったことなどは新事実だった)、こちらの常設展も引けをとらないものだった。溝口健二のデスマスクや、『カチューシャ』と題されて上映されたトルストイ『復活』の当時のポスター(これには「露國文豪トルストイ翁原作」との文字が添えられており、上映は驚くべきことに1913年。日露戦争の直後だ)などは一見の価値があるのではなかろうか。

また、今回の『メトロポリス』の直前に、「複製技術と芸術家たち――ピカソからウォーホルまで」@横浜美術館にも足を運んでいたものだから、活弁上映を「アウラの再獲得」という文脈でとらえてしまうのも仕方がない。実際、弁士の方も会場の雰囲気に合わせてアドリブで台詞を入れるなどしており、あれは観客と作品のまさに仲介者ともいうべき絶妙な存在だったように思う。横浜の展示は、あたかもベンヤミンのテクストをなぞるように時代を進んでいくものだった。ピカソのリトグラフからはじまり、マティスの切り絵、エル・リシツキーの『プロウン』、エルンストのコラージュ、デュシャンのレディ・メイド、そしてリキテンシュタインと展示品は並び、中盤辺りから「やっぱり抽象芸術はキツいな……」と帰りたくなっていたのだけれど、最後のウォーホルの作品に添えられた「広告とは、複製芸術にアウラがあるかのようにみせかけることである」(うろ覚え)という一文にはどこかはっとさせられるものがあった。


と、『メトロポリス』を機に思い出された展示会をいろいろと書き並べてみた。「間展示性」などとでも呼べるのだろうか?