年の瀬も近づき、街もぎらぎらと騒がしい色になってきた。先月、こんな本が出た。クロード・レヴィ=ストロース『火あぶりにされたサンタクロース』中沢新一訳(角川書店、2016)。
旧版にクロード・レヴィ=ストロース『サンタクロースの秘密』中沢新一訳(せりか書房、1995)がある。「火あぶりにされたサンタクロース」は同書に収められている論文のタイトルだ。このたび刊行された新装版では、この論文題目が書名としてそのまま使われている。「火あぶりにされたサンタクロース」自体は日本語で70ページ足らずの短いもので、それに加えて中沢の解題「幸福の贈与」が併録されている。合わせて100ページと少し。新装版と旧版の異同は確認していないが、今回覗いたのは『サンタクロースの秘密』の方だ。
「火あぶりにされたサンタクロース」は1952年に『レ・タン・モデルヌ』誌に掲載された。編集長を務めていたのはサルトルだ。この論文執筆の依頼を通じて、後に実存主義にとって最も厄介な論客となるレヴィ=ストロースと、「カミュ=サルトル論争」の渦中にあり依然として耳目を集めていたサルトルが出会ったというのだから、いささかドラマティックでもある。
本論文は1951年12月24日に起きた、とある事件から始まる。フランス中部に位置する街ディジョンで、衆人環視の中でサンタクロースが火あぶりにされたというのである。しかも、この火刑は大聖堂前の広場で、聖職者の同意のもとに執行されたのである。レヴィ=ストロースはこの事件を俎上に上げて、サンタクロース論を展開してゆく。
なぜ、サンタクロースは火あぶりにされたのか? 端的に言えば、サンタクロースは異教のシンボルとみなされたのである。元来キリストの降誕を祝う祭であったクリスマスが、サンタクロースという存在によってその本来的意義を失いつつある。このことに教会は脅威を抱き、かような蛮行に及んだのである。
ライシテを標榜するフランスでこのような事件が起きたことは、現代的な観点から見てもおもしろい。この処刑の背景には、戦後フランスにおいてアメリカ合衆国の存在が肥大化してきたということがある。マーシャル・プランの恩恵を受けて復興を進めていたフランスへは、米国文化が大量に流入したのだった。サンタクロースのモデルはいうまでもなく、聖ニコラウスである。オランダ語で聖ニコラウスを意味する〈シンタクラース〉が訛って英語ではサンタクロースとなり、全世界に広がった。けれども、我われが今日よく知るクリスマスおよびサンタクロースを米国由来のものだと決めつけてしまうのは早計だろう。これらは長い歴史のなかで、形態を大きく変えながら現在まで生き残っているのであって、その最新モデルが米国式というだけの話なのである。
レヴィ=ストロースは、サンタクロースとは「社会を、いっぽうに子供、もういっぽうに青年と大人を配した二集団に分割する、差異の原理を表現」するものだと説明する。サンタクロースはそれを信じている子供のもとにしかやってこない。サンタクロースへの信仰を捨てたとき、子供は大人の集団に組み込まれる。これは一種の通過儀礼である。このような例は他にもある。アメリカ合衆国南西部に住むプエブロ・インディアンの社会では、先祖の霊や神を表象するカチーナたちが村々を周期的に訪れ、子供たちに罰や褒美を与える。けれども、カチーナという存在の本質は子供たちをしつけることではない。カチーナ神とはもともと溺死した子どもたちの霊なのである。つまりカチーナそのものが、子供であり、死者を体現しているのだ。この例をレヴィ=ストロースは重要視する。
話をサンタクロースに戻すと、その起源は中世の〈喜びの司祭〉、〈サチュルヌス司祭〉、〈混乱司祭〉などにもとめられる。これらはいずれも、クリスマスの期間だけ王となることを許された存在である。教会はこうした異教の祝祭を救世主の降誕祭に作り替えてしまったのであった(イエスはもともと夏に生まれたという伝承がある)。ここで、サンタクロースを火あぶりにした協会側の言い分は全く筋が通らなくなってしまう。クリスマスとは本来的に異教的なものだったのである。古代ギリシャ・ローマ時代から中世までの〈12月の祭〉とは一言でいえば、カーニバル的な様相を呈していた。そこでは階層を隔てる梯子は取り払われ、男女はお互いの衣類を交換し、若者は力の限り騒いだ。こうしたカオスを治める役割を担っていた者こそが〈喜びの司祭〉であった。これがサンタクロースの原型である。
けれども、現代のクリスマスに往時ほどの緊張はなく、若者は姿を潜めている。主役となるのは、子供たちだ。その集団は聖ニコラウスの代理人を務め、村中を歩き回り寄進を募る役割を担わされた。この伝統は現代のハロウィーンに受け継がれている。ここで、カチーナの事例を思い浮かべてみよう。カチーナとは子供たちの霊、すなわち死者であった。死者が寄進を求めるということは何を意味するのだろうか? 秋から冬にかけての闇が光を打ち負かす季節に、人びとは死者の来訪を怖れた。そこで、彼らに贈り物を捧げてもてなすことで、おとなしく生者の世界から立ち去ってもらおうと考えたのである。生者の世界において、死者(=他者)を体現できる存在とは、まだ社会集団に組み込まれていない存在、すなわち子供たちであった。
このように歴史を概観し、解釈を与えたうえで、レヴィ=ストロースは始まりの設問に立ち返る。「なぜサンタクロース像は、かくも発展しえたのか」。現代において、死との関係は古代と比べてライトなものとなった。もはや我われは死者や幽霊を怖れてはいない。それにもかかわらず、その関係性を表象するサンタクロースは消えることなく、むしろ発展してきた。我われが、子供たちの持つサンタクロースの幻想を必死に守ろうとするのは何故だろうか。それはおそらく、「心の奥底では、ささやかなものとはいえ、見返りを求めない気前の良さとか、下心なしの親切などというものが存在することを信じていたい、という欲望」(53)を我われが持ち続けているからだ。「たぶん、私たちはその幻想が他の人々の心の中で守られ、それが若い魂に火を灯し、その炎によって、私たち自身の身体までが温められる、そんな機会を失いたくないのだ」(53、54)。レヴィ=ストロースは言う。「クリスマスの贈与。それは生きていることの穏やかさに捧げられた『サクリファイズ(供犠)』なのだ。生きていることは、まずなによりも、死んではいないことによって、ひとまずの穏やかさを実現しているからだ」(54)
論文自体が平易な筆致で書かれていることもあって読みやすいのだが、供録の「幸福の贈与」を読むとさらに理解が深まるのではないかと思う。とりわけ冒頭部での「サルトルの思想には、不幸についての分析は、いっぱいある。しかし、実存主義は幸福については語らない。ところが、レヴィ=ストロースはこの論文で、幸福の秘密に触れようとしたのである」(71)という紹介などは白眉ではないだろうか。
前半部ではマルセル・モース『贈与論』を軸に作品の解題がなされている。マーシャル・プランが実行に移されていたフランスはまさに米国から〈贈与〉を受けていたのであり、ここからバタイユ『呪われた部分』やレヴィ=ストロース『親族の基本構造』などが生まれてくる。
後半部で中沢は「火あぶり……」の内容を確認しつつ、そこに〈贈与の霊〉という概念を持ち込んでいる。クリスマスをはさむ〈冬の祭〉の間には、死者たちが生者の世界へと流れ込み、世界のバランスが崩れてしまう。その均衡を取り戻すべく、我われが死者の領域に送るものこそが〈贈与の霊〉であり、祭壇に供えられる品物や贈り物は、それを物質化したものである。その媒介を務めるのが、若者であり子供たちなのだと中沢は主張する。しかし、こうした循環のシステムはブルジョワ社会の成立とともに変容する。物質主義的な近代において、死者たちの世界は無化されてしまう。また、啓蒙された社会では古くさい因習は廃止され、子供たちが夜道を歩くことも危険だと非難を浴びるようになる。けれども、理論のうえで死者たちの世界が消滅しても、大人は子供たちがその〈外〉の世界と繋がっていることを無意識で感じている。贈与は行われなければならない。ここで贈与を受け取るのはもちろん死者=子供たちである。その結果として、誕生したのがサンタクロースだ。この老人は、生者と死者の世界を繋ぐ媒介者の役割を肩代わりしたのだった。
贈与には宇宙的な力の流動が寄り添っている。北アメリカのインディアンや、メラニシアの原住民たちの風俗には〈贈与の祭〉がある。そこで人びとは、客人を盛大にもてなし、物品を気前よく浪費する。モースはこれに着目して『贈与論』を執筆した。「商業は人と人の間に、分離をつくりだす。これにたいして、贈与は人と人を結合することができる。商業(これは等価交換を、第一原理としている)がロゴスならば、贈与とはエロスなのだ」(105)。個と個は〈贈与の霊〉を通じて、結びつくのだ。クリスマスもこうした贈与の祝祭である。ここで参照されるのが(ここまで読んできた誰もが思い浮かべていたであろう)ディケンズの『クリスマス・キャロル』である。スクルージは贈与のシステムを誰より嫌っている。けれども、彼はクリスマスに死者の霊との交信を通じて、人びとが無欲に贈与し合う様を目の当たりにする。果たして、彼のなかでは〈贈与の霊〉が動きだすのだった。
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